みのもんたの経歴を徹底解説!輝かしい業績と驚きの資産とは?

みのもんたさんといえば、日本を代表するテレビ司会者であり実業家として知られています。

彼の華々しい経歴や輝かしい業績、そして驚きの資産について、多くの人が興味を持っているのではないでしょうか?

そこで今回は、

・みのもんたの経歴と輝かしい業績
・みのもんたの驚きの資産

について、徹底的に解説していきます。

彼の人生がいかに波乱万丈で魅力的なものだったかがわかるはずです。

それでは早速、本題に入りましょう。

目次

みのもんたの経歴と輝かしい業績

出展:You Tube

日本のメディア史に大きな影響を与え、テレビ界の巨星となったみのもんたさん。

みのもんた(本名:御法川法男)さんは、1944年8月22日に東京都世田谷区で生まれました。

彼は立教大学経済学部を卒業し、その後メディア界へと足を踏み入れることになります。

ラジオ時代

みのもんたさんの職業人生は、1967年に文化放送にアナウンサーとして入社したことから始まります。

大学卒業後、彼は『セイ!ヤング』の初代パーソナリティを務め、明るく軽妙な語り口で人気を博しました。

文化放送での主な活動

・深夜放送番組のパーソナリティ
・洋楽ランキング番組『オール・ジャパン・ポップ20』での活躍
・プロ野球中継への関与

60年代70年代当時は、アナウンサーで芸名はとても珍しく一度聴いたら忘れられないインパクトのある名前は放送作家の野末陳平さんが付けてくれたそうです。

本名である御法川法男(みのりかわ・のりお)から「みの」、1967年の文化放送入社時の人気競走馬モンタサンの「もんた」、これを合わせて「みのもんた」にしたそうだ。名付け親は放送作家の野末陳平さん。

引用:産経新聞

この先もみのもんたさんの様な司会者が誕生し、テレビ界を盛り上げていって欲しいですね。

テレビ界に進出

1979年に文化放送を退社後、みのもんたさんはフリーアナウンサーとしてテレビ界に進出します。

1989年からは日本テレビ系『午後は○○おもいッきりテレビ』の司会を20年間務め、その人気を不動のものにしました。

主な出演番組

『プロ野球珍プレー好プレー大賞』(フジテレビ系)【1983~2005年】
『みのもんたの朝ズバッ!』(TBS系)【2005~2014年】
『学校へ行こう!』(TBS系)【1997~2008年】
『クイズ$ミリオネア』(フジテレビ系)【2000~2007年】
『秘密のケンミンSHOW』(日本テレビ系)【2007~2020】
『NHK紅白歌合戦』総合司会(NHK)【2005年】

エンターテイメント番組の司会を務め、「視聴率男」として名を馳せ、最盛期には、16本ものレギュラー番組を持っていた日本のテレビ界を代表する司会者となりました。

『クイズ$ミリオネア』では司会者が挑戦者に言う「ファイナルアンサー」は流行語になり、社会現象を巻き起こした。

なかでもみどころの一つとなったのが、挑戦者の「ファイナルアンサー」後、みのさんが正解か否かを告げるまでためつづける、通称「みのだめ」が話題になりました。

2006年には「一週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者」として21時間42分の生放送によりギネス記録を樹立し、「日本一忙しい司会者」と称されました。

翌年、2007年には番組が「おもいッきりイイ!!テレビ」に改編され、放送開始時刻が5分繰り上がったため、生放送時間がが22時間15秒に伸び、自身のギネス記録を更新しました。

認定証を受け取ったみのは「更新って全く意識してなくて、あれー?ってぐらい」とニッコリ。63歳にして毎日午前3時に起床、休みは日曜だけだが「酒を飲む回数も量も増えたぐらい。時間をうまく使えるようになったのかな」とテレビ界の鉄人は余裕の笑み。

引用:四国新聞社
出典:ORICON NEWS

生番組内で認定書を受け取った時の嬉しそうな表情を見ると、こちらまで嬉しくなりますね。

しかし、2013年にセクハラ疑惑が報じられ、一時的にテレビから姿を消すことになります。

その後も活動を続けましたが、2019年にパーキンソン病を診断され、テレビ出演が減少しました。

実業家としての業績

みのもんたは、テレビ司会者としての顔だけでなく、実業家としても成功を収めました。

実父が経営していた日国工業株式会社に35歳で営業マンとして入社。

1999年に個人芸能事務所事務所「オフィスモンタ」と日国工業株式会社を合併し、株式会社ニッコクを設立。

水道メーター事業とタレント業の2本立てにすると同時に代表取締役社長に就任。

2020年まで社長を務め、その後は代表取締役会長に就任。

みのもんたは、テレビの生放送直後に会社へ出勤し、作業用の上着を着用して業務に当たっていたと語っていました。

彼の会社の収益は、水道メーター事業が60%、芸能活動が40%を占めていたそうです。

みのもんたさんには日頃から経営者として心掛けていることがありました。

「暑い、寒い、疲れた、忙しい、この4つは絶対口から出さないことにしています。この言葉は否定の言葉ですからね。僕がよく社員に言うのは『暑いと思っても暑いと言うな。いい汗かけると思え』『寒いと思っても寒いなんて思うな。身が引き締まると思え』『疲れたと思うな。いいトレーニングをしていると思え』『忙しいと思うな。仕事を追いかけて幸せだと思え』ってね。僕はアナウンサーや司会の仕事がなくて、困ったときがたくさんありましたから」

引用:Yahoo!ニュース

みのもんたさんの業績は、日本のメディア界に大きな影響を与え、多くの後進の道を開きました。

彼の独特の話術や司会スタイル、そして実業家としての手腕は、今後も長く語り継がれることでしょう。

みのもんたの驚きの資産

出展:Instagram

日本のエンターテインメント界と実業界の両方で大きな足跡を残したみのもんたさん。

みのもんたさんの資産については、多くの人が驚くほどの規模だと言われています。

主な資産の内訳は、

  • 2020年時点での総資産は約50億円
  • 2021年には70億円を超えるとの報道もあり
  • 鎌倉の高台にある自宅
  • 東京・南青山の不動産

みのもんたの収入源は多岐にわたり、テレビの司会料、ニッコクからの役員報酬、企業資産など、様々なものがありました。

特筆すべきは、『みのもんたの朝ズバッ!』での1本約500万円という高額ギャラだったことです。

また、「銀座の夜の帝王」と呼ばれるほど、豪快な生活ぶりでも知られていました。

この人間性や遊び心が、多くの視聴者からの支持を集めた要因の一つでもあります。

「僕の場合にはね、朝やって、昼やって、ゴールデンもやってね、そりゃ、数打ちゃこうなるよ(笑)。じゃ、(記事を書くなら)派手に頼むよ!」

引用:gooニュース

このように、みのもんたさんは単なるテレビタレントの枠を超えて、すべてにおいて豪快だったと言えるでしょう。

まとめ

みのもんたの経歴、業績、資産について詳しく見てきました。

彼の人生は、まさに波乱万丈そのものでした。

テレビ司会者としての成功、実業家としての手腕、そして驚くべき資産の蓄積。

みのもんたさんは、日本のメディア界に大きな足跡を残した人物と言えるでしょう。

彼の生き方や成功は、多くの人にとって興味深い事例であり、学ぶべき点も多いのではないでしょうか。

みのもんたさんの人生は、努力と才能が結実した一つの成功物語と言えるかもしれません。

それでは、ありがとうございました。

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